2009年12月アーカイブ

今年公開されたディズニーのアニメです。今月DVD化されました。
ストーリーを聞いただけで涙が出てくるほどだったので、早速DVDを購入して視聴しました。
魅力的なキャラクターと秀逸なシナリオで感動的な作品に仕上がっています。
冒頭のSFチックな戦闘シーンで一気に引きつけて、突然、現実世界に直面します。
まずCGとは思えない、幼さが残るボルトの仕草や表情がホントにかわいらしい。女の子のペニーが素顔でボルトと一緒の場面は心和みます。
笑って泣いてはらはらして、そしてディズニーお約束のハッピーエンド。
空想の世界でヒーローだったボルトは、一度現実世界で挫折し、ペニーを助けたい一心で、力を振り絞って現実世界でも再びヒーローとなることができることを学びます。
ボルトが現実の世界に直面して苦しむ場面は、トイ・ストーリーのバズを思い起こされました。(I will go sailing no more は感動的でしたね)
またボルトの首輪につけられたタグに日本語で「ボルト」と書いてあったのにはびっくりしました。
一つだけDVDで文句をつけたいのは、本編の前に、別の作品のブルーレイのCMがながながと流されることでしょうか?あとは歌の部分が日本語の歌に差し替えられていたことですね。
それらを考慮したとしても一押しのDVDです。


ボビーとのお別れのときが近づいていました。
だんだんやせて元気がなくなっていき、医者に見せても有効な手を打てませんでした。
ボビーの最後の日は、いつものように家の中で、お手伝いのおばさんと、母の帰りを待っていました。
ボビーは母の車の音を聞き分けて、庭に迎えに出るのが常でした。
でも、その日は車の音を聞いて、一生懸命立ち上がろうとするのだけれども、もう立ち上がれない。
母が家の中に入ってくるときには、息絶えていました。
母とお手伝いのおばさんは、ボビーを前にしてしばらく泣いていたそうです。
そのときのことを私は電話口で泣いている母から聞きました。
母はボビーにあげていたご飯が悪かったのではないか、と後々まで気にしていました。
私は、そんなことはない、ボビーは幸せな一生だった、と何回も説得しましたが、それは私の本心からの気持ちでした。
母は犬の権威の平岩米吉さんのところまで出かけていって、話をしたり、獣医に死因を教えてくれと詰め寄ったり、ボビーの死を受け入れるまでに長い時間がかかりました。
それ以来、実家で犬を飼うことはありませんでした。(猫は何回か飼いましたが)
もう30年近く経ちますが、玄関には、最近まで、ボビーの大きな写真が飾られていました。
いまでもボビーが毎日駆け回っていた実家の庭に、ボビーは眠っています。
ボビー、たくさんの思い出をありがとう!


ボビーは、他の犬、そして猫に対してまでも、とても愛想がよかったです。
尻尾をふって一緒に遊ぼうとしました。
私は、猫も好きだったので、ときどき近所の猫を捕まえては、ボビーと一緒に遊ばせようと、
猫を抱いてボビーのそばまで持っていきました。
ボビーは尻尾を振って遊ぼうとするのですが、
たいていの場合、猫は「シャーッ」と威嚇し、ボビーの鼻にするどい一撃を加える、という結果になりました。
それでもボビーは懲りずに猫に対しても、愛想のいい態度をとり続けました。
そもそも。母が、ボビーをもらいに行ったとき、子犬が何匹かいたのですが、
ボビーが真っ先に、母を迎えに出た、ということです。
それで、ボビーをもらってくることになったのですが・・・。
社交的で愛想のいいのは、生まれつきだったようです。


私が大学に行くために上京する日、2階の自分の部屋で荷造りをしていると、階下でボビーが猛烈に吼えていました。
雰囲気から、私が行ってしまうことを察知したようです。
お別れの挨拶をしようとしても、怒って吼えるばかりで、体に触らせない。
私が出て行くまで吼えていましたが、当時の私は、新しい生活のことで頭が一杯で、ボビーのことを思いやるゆとりがなかったように記憶しています。
夏になって休暇で帰省したときのボビーの喜びようといったら!
今度はうれしくて吼えるんですね。尻尾を千切れるように振って、体をこすり付けてきます。
またボビーとの散歩が復活です。
夏の終わり頃、母親とボビーと、もう人気のない海岸へ行きました。
これは本当にいい思い出です。
最初、ボビーはリードをつけずに広いところで放されて、どうしていいか分からない様子でした。
でもすぐに、流木に集まっているカラスの群れを追いかけたり、周りを嗅ぎまわったり、遊び始めました。
日が傾いて帰る頃には、ボビーはすっかり海が気に入って、私たちがつれて帰ろうとしても、逃げ回って、なかなか帰ろうとしませんでした。
写真を見ていると、あの頃の光景が目に浮かびます。

ボビーは音楽を理解していたと思います。
昔読んだ「鉄腕アトム」の中で、ケンイチのハーモニカに飼い犬までがうっとりする場面があります。
アトムはそれが理解できずに悩むのですが・・・。
ボビーが小さい頃、デイブ・グルーシンの音楽に眠ってしまうことは、前に書きましたが、ステレオの向かいのソファーに寝そべって、音楽を聴いていました。
僕とボビーの共通のお気に入りは、ピーター・ガブリエル在籍当時のジェネシスのシネマショウの、トニー・バンクスのキーボード・ソロでした。
時に悲しげに、時に楽しげに、まさに映画を見ているような美しいキーボードです。
ボビーは耳を立て、気持ちよさそうに寝そべっていました。
ただボビーはハードロックは苦手でした。
弟が、KISSやエアロスミスを鳴らすと、逃げ出しました。
当時、LPレコードからカセットに録音することを、よくやっていたのですが、どういうわけか、ボビーの鳴き声が、テープに入ってしまい、悩まされた記憶があります。
多分レコード・プレーヤーの針から、ボビーの声が入ったのだと思いますが・・・。

ボビーが理解していた言葉はいくつかありましたが、「ボビ」「ごはん」「散歩」、特に「散歩」には敏感に反応しました。
「さん」や「ぽ」だけですと、頭がよじれるくらい首をかしげて、「なんのことだったかなあ」という顔をします。
これが面白くて、僕や弟は、「さん」とか「ぽ」とかいって、よくボビーをからかったものです。
朝の散歩は、父親が、夜の散歩は、僕と弟が交代で行きました。
月が煌々と輝いた冬の夜、ボビーを連れて田舎道を全力で走った光景は未だに夢に出てきます。
こちらが全力で走っても、ボビーのほうは悠々と、たったっと走ってくるのです。
毎回のように、もっと散歩するんだと、帰るのを渋ったボビーは僕を困らせました。
帰ると、足を洗って家の中に入れるのは、母親の役目でした。
それでも母親に一番なついていたと思います。
よく、犬は自分の地位を、一番下の子のひとつ上だと思っている、と聞いたことがあります。
ボビーは弟の1つ上だと思っていたのでしょうか。
みんなボビーに愛情を注ぎましたし、ボビーもそれに答えました。


はじめは缶詰をあげていたのですが、そのうち、骨付きの鳥を煮てあげるようになりました。
食事の時間は人間と同時に始まるのですが、ボビーは台所で自分のご飯を大急ぎで食べると、
人間たちが食事しているところにやってきて、長い鼻で私たちを小突いて、
「どうして、あなたたちばっかり、おいしいものを食べてるの?」という感じで、
同じものを要求します。
そしていつも、人間の食べ物にありつくのでした。
ボビーの変わった好みに、みかんがありました。
冬、私たちがみかんをたべていると必ずやってきて、みかんをくれるのを待っています。
皮をむいて、みかんの一切れを、あげると殆どかまずに飲み込んでしまいます。
あれでは味は分からなかったと思うのですが、口からよだれを流して、欲しがりました。
ボビーの体がビタミンを要求していたのかもしれません。
今のように良質のドッグフードがない時代、両親もボビーの食事の用意は大変だったようです。

今回から数回にわたって、ボビーの思い出の写真をお送りします。
[このコンテンツは、別の写真ブログに3年前に掲載したものですが、そのブログを閉鎖することになり、消滅してしまうのが寂しくて、再掲載するものです。]
ボビーは家で飼った2度目のコリー犬でした。最初のコリー犬もボビーという名前でしたが、当時TVで放映されていた、「名犬ラッシー」の影響だったと思います。
当初、家の中に入れるつもりはなかったのですが、一人で外につながれるのがよほど寂しかったのか、家に入れてやるまで、鳴いていました。
根負けして、玄関の中でリードでつないでおくと、それでも鳴く。
自分を人間だと思っていて、みんなと一緒にいたいという感じでした。
それで、音楽を聴かせたらどうかということになり、玄関にテープレコーダーを持っていって、ディヴ・グルーシンのサントラ、「レーサー」のテーマを聴かせました。
すると、次第にうつらうつらとして、立っていられなくなり、座り込んで寝てしまうのです!
でも結局、リードを外して、家の中で飼うことになりました。
10ヶ月に及ぶアルゼンチンでの仕事を終え、帰りにロサンゼルスに寄りました。これはディズニー・ワールドで。ミラーグラスなんかかけていたらVIPと間違われたみたいです。これでアルゼンチンのシリーズはおしまいです。
パン屋さんに飾られたお祭りのきれいなお菓子。何かのフィエスタだったか忘れてしまいました・・・。
ブエノスアイレス・デジタル網の開局直前。緊張の中でもカメラを向けると、この笑顔。
ブエノスアイレス郊外のモンテ・チンゴロの原っぱに立つエンテルの電話局。電車を乗り継いで通ったものです。強風でアンテナが揺れて、通信できないトラブルが・・・。
アルマセンとは別のタンゴのショー。私はこちらの方が若々しくて気に入ったのですが、友人たちは、「アルマセンのほうが音楽性に優れている」とのたもうのでした。アルマセンのほうは年配の出演者が多かったように思います。
ブエノスアイレス市街。フロリダ通りの近くと記憶しています。左手の丸い建物は銀行です。
ヨーロッパ風の建物が点在する、石畳の優雅な、そして貧しく、誇り高い国。
アルゼンチンの花屋さん。こういう小さなスタンドをよく見かけました。アルゼンチンで日本人といえば、花屋さんかクリーニング屋さんでした。私たちが電子交換機を持っていったときに、「何故日本人にこれだけのものが作れたのだろう」と驚いていました。日本人の地位は当時、低かったようです。
パレルモ公園の池で。とにかく広い公園でした。仕事で忙しくてあまり遊んでいる時間はなかったのですが・・・。
アルゼンチンに住む日本人の間では、「サンマルチン」駅の次は「ヨンマルチン」というジョークがはやっていました。夜で光が足りずに、粒子が粗い写真だったのですが、デジタル補正で割りときれいな写真になりました。
仕事をしていた、電話局の門番のおじさん。門番というより取締役みたいですよね。帰国直前、お別れに撮った写真。
写真の現像に行ったカメラ屋のおじさん。当時はまだデジタルカメラはありませんでした。それにしても俳優にでもなれそうな風貌。端正な容姿の人が多かったです。
帰国が近づく中、猫を預かってくれる人を探して、あせっていたのですが、結局、借家のお隣の奥さん、息子さんが預かってくれることになりました。ほんとうに人のよい人たちでした。はじめてお隣に猫を連れて行ったときに、ちょこちょこと走って、飼っている犬のえさを食べだしました。犬が怒って、そばでほえていました。それを見て、みんなで大笑い。
最初、お隣に猫を預かってくれるようにお願いに行ったときには、私があまりに真剣な表情で訪ねたので、奥さんは何事かと思ったようです。
いまでも心残りなのは、スペイン語がよく話せずに、対応に出た奥さんが、御自分のことを、今はみっともない格好をしている、といったのに、「そんなことは無いです」というつもりで、「ノー」といってしまったこと。
許していただけるでしょうか?
お隣の息子さんとは、帰国後しばらく文通をしていました。
ブエノスアイレス郊外で、仲間と家を借りて住んでいたある朝、庭に障害を持った黒猫が捨てられていました。後ろ足が満足に動かない。やっと歩ける程度で、高いところへのジャンプなどもちろんできません。ほっておけず、家に入れて体を洗い、ご飯を上げて、飼うことに。
私によくなついて、家の中をどこでも不自由な足でついてきました。帰国が近づくにつれ、この猫をどうしようかと真剣に迷いました。
広大なパレルモ公園の多分、プラネタリウム。中へは入りませんでした。
番外編。トランジットのバンクーバーからリマへ。バンクーバーには数時間滞在して、市内を観光したのですが、リマは空港の中だけで、ブラニフのきれいな機体を眺めていたくらいで、その他の記憶はまったくありません。
ブエノスアイレスの電話局の仕事場で、運転手をしていたバルガスと彼のガールフレンド。バルガスという名前は多かったのですが、彼は、俺はちゃんと仕事をしているのに、日本人は机に向かってばかりいて仕事をしていない、とこぼしていました。
フロリダ通りのお土産やさん。帰国直前に大量にお土産を買いました。馬の置物とか、石で出来た卵とか、好きだったボルヘスの詩画集や、全作品集、分厚いブエノスアイレスの地図は、今でも私の宝物です。
7月9日(ヌエベ・デ・フリオ)通りに立つ、高さ67mの純白のオベリスク。ブエノスアイレスの設立400年を記念して立てられたそうです。
あまりに白すぎて、写真写りが悪いのが欠点です。(空に溶け込んでいますよね)
アルゼンチンの人々は、こういう巨大なモニュメントが好きなようですが、近くで見ると本当に圧倒されます。
大統領が執務する、ホワイトハウスならぬピンクハウス(La Casa Rosada)。「エビータ」の舞台ともなったところです。とても静かな佇まいでした。
ブエノスアイレスは南米のパリと言われるだけあって、ヨーロッパ風の大きな建物が目立ちます。ブエノスアイレス市内にて。何の建物だったかは失念しました。壮大さに圧倒されてシャッターを切りまくっていました。
ブエノスアイレスで、タンゴを聴かせるバー、「アルマセン」で。タンゴ初体験でしたが、生演奏を間近で見て興奮したことを覚えています。帰国してから、ピアソラのレコードをよく聴きました。
フロリダ通りのハンバーガー屋さんで。ポーズをとる男の子。後で、この写真をあげた記憶があります。
ブエノスアイレスのステーキ屋さん、ロス・トロンコスで、ビュッフェ・デ・ロモをひたすら食べる。料理のバラエティはあまりなかったです。ステーキを食べるか、中華や日本料理を食べるか、でした。
私がアルゼンチンに滞在していた期間に、フォークランド紛争が起こりました。イギリス領だったフォークランド諸島の領有権をアルゼンチンが主張して、戦争になったのです。戦争中、ブエノスアイレスの市内のいたるところに、反英のポスターが貼られました。イギリスがブエノスアイレスへ爆撃に来るという噂もあり、脱出の準備をしていたのですが、市内は一見平穏でした。
ブエノスアイレス。仕事場へ向かう途中で。ガラスに映った新旧の建物の対比がおもしろい。
最初に泊まったブエノスアイレスのエスメラルダホテルの窓から。アルゼンチンに着いてまもなくのころ。10ヶ月の中で一番高いホテルでした。ここしか空いていなかったので、仕方なく。
いやあ、心細かった。
ブエノスアイレス郊外のテニスコートで日本人同士でテニスをしていたら、日本人が珍しいのか、小さな女の子が近づいてきました。怖いんだけれど見ずにはいられない、といった表情。
ブエノスアイレスのモニュメント。これほど大規模でないにしても、この手の記念碑にはよくであった。
レティーロ駅近くの時計台。駅のすぐ向かいにあった。光線が入ってしまってちょっと残念。
ブエノスアイレスのレティーロ駅近くのお城のような建物。どんな人が住んでいるのか気になります。
もうだいぶ前のことですが、1982年に仕事でアルゼンチンに10ヶ月滞在しました。
その時に撮った写真です。これは以前、他の写真ブログに掲載したことがあるのですが、
そのブログを閉鎖することになり、抜粋してこちらに引っ越すことにしました。
解説には全般に手を入れています。
アルゼンチンは、英語読みではアージェンティーナ、(ミュージカル エビータでは「ドント クライ フォー ミー アージェンテーナ」っていう歌い出しですよね。)そしてスペイン語読みではアルヘンティーナとなります。
ミュージカル「エビータ」の舞台でもあり、南米のパリと言われる石畳の趣のある街並みでした。アルゼンチン出身の有名人に、作家のボルヘス(バベルの図書館が有名です)、ピアニストのマルタ・アルゲリッチ(発音はアルへリッチが正しいようです)、女優のオリビア・ハッセー、サッカーのマラドーナなどがいます。アルゼンチンの人々は、ヨーロッパ系の顔立ちの人と、インディオのような風貌の人が混じっていました。アメリカと違ってヨーロッパ系の人々も背丈は日本人とあまり変わらず、あまり威圧感はありませんでした。
アルゼンチンは第2次世界大戦の穀物輸出で、多くの外貨を稼いだのですが、あっというまに浪費してしまい、長年かなり貧しい状況に置かれています。1982年当時、電話局などの公共の建物でもトイレットペーパーの代わりに新聞紙を使っているような状況でした。
私の滞在の10ヶ月のうち、半分は、単身でホテル住まい。残りは、仲間と家を借りて住んでいました。当時は、非常に苦しくて、もう海外へは絶対行かない!と思っていたのですが、今思い返すと、とても懐かしいです。
多分、ブエノスアイレスで始めて、エスプレッソを、それもほぼ毎日飲みました。以前からコーヒーは好きでしたが、エスプレッソ好きが決定的になりました。これも懐かしいです。
今回の写真はブエノスアイレスの建物です。何の建物かは定かではないのですが。(そういう写真が多いです)
なお自費で作ったアルゼンチンの写真集があります。まだ少し余分がありますのでご興味のある方はコメントでお問い合わせください。このブログの写真は全て含まれています。
今年も弟夫婦のところでパーティー。ご馳走になってきました。1年分のつもる話もいろいろ。
大事に大事にされている留々(ルル)ちゃんも萌花(モカ)ちゃんもとっても元気に走り回っていました。
お土産にもらった、キャットニップの入った魚のおもちゃに、フーちゃん大興奮。ちょうどネズミくらいの大きさなのです。夜中に一人でドタバタ運動会をしていました。いいものを教えてもらいました。


お仕事で、オライリーの「詳解 Open CV」を購入したのですが、大きくて重い本で、どうしても電子版が欲しくなった。カバーにPDF版があるとあったので早速購入。内容は文句ないのですが(日本版のみ、興味深い応用例が・・・)、いくつか文句があります。良い点は、紙の本より安い、表示サイズを変更できる、複数の媒体にインストールできる、ノートやスマートフォンで持ち運びできる、欲しいときに即手に入る。悪い点は、目次などから目標にジャンプできない、サンプルコードなどをコピペできない、くらいでしょうか?iPhoneに入れてみたのですが、これがまた快適。今日は外出で電車の中でずっと読んでいました。重い本ならこうはいかない。超便利です。



タリーズのコーヒースクールに行ってきました。
コーヒー豆の説明と試飲、銘柄あて、スゥイーッとの相性など1時間半にわたって、タリーズの谷さんが説明してくれました。
楽しかったです。銘柄あては1つもあたりませんでした。今日頭に入ったのは、アフリカはアロマ、アジアはボディ、南米は酸味という特徴。またエスプレッソに使われるアラビカは産地ではなく、豆の種類だと言うこと。お土産に豆と計量スプーンをもらって帰りました。
愛嬌のあるおじいさんが奥さんと一緒に来られていて、キリマンジェロをミケランジェロといったりして周りを笑わせていました。楽しかったです。本当は有料なのですが、今回は会場の商業施設のイベントと言うことで無料でした。ケーキも食べられてとってもお得な気分でした。

外山滋比古
ちくま文庫(1983)
NHK-FMの「トーキング・ウィズ・松尾堂」でゲストとして来られた外山さんの著作ということで読んでみました。30年近く前からのロングセラーで、100万部売れたそうです。外山さん自身も新刊書は読まなくて、2年くらいたって淘汰された本を読むということ。内容は33の短いエッセイから成っています。題名の示すとおり、情報や頭の整理、新しいアイディアの出し方、ブレークスルーのきっかけはどう生まれるか、から現代の教育の問題まで、いろいろな話題を取り扱っています。文章の外観は少し古くなったところも見受けられますが、30年近く前の本とは思えないくらい現代の状況にもマッチしています。淘汰されて残ったということなのでしょう。個人的に今考えている問題のヒントになったのは、コンテキストを変えてみるというアドバイス、それから、ものを書くという行為は立体的な思考を、1次元の線の上に載せるということ、という記述でした。面白かったのは手帳を使った整理法が現代なら、ソフトウエアで全て実現可能だということでした。でも本質は変わりません。ものを考えることを生業としている方にはよい刺激になると思います。


写真をスケッチ風に変えてくれるソフトは、Windows でもMacでもありますが、本日ダイレクトメールが来たのは、Mac 用のAKVIS Sketchという製品。試用版がありましたので試してみました。このクオリティの線画はなかなかすごいです。ダウンロード版で8000円くらい。悩み中です。 
篠原匡
新潮新書(2009)
久しぶりにいい本を読んだ。篠原さんが、その良心から書かずにおれなかったテーマとお見受けしました。出生率2.04を達成した村、地元にある産物で町おこしに成功した町、下流を巻き込んだ林業、高収益を実現しているスウェーデンの障害者企業、企業と農村のコラボレーション、あえて低成長で従業員の幸せと地域への貢献を目標にする優良企業。こんな話を読んでいると、日本もまだまだ捨てたもんじゃない、と思えてくる。成功例はスウェーデンを除いて、いずれも政治や官僚に頼らずに、自分で調べて汗をかく、ということ。日本の未来は地方から開けてくるのかもしれない。
同じ著者の日経ビジネスオンラインの記事、高知のデザイナー梅原真を取り上げた連載「シアワセのものさし」は、本当に素晴らしい。これも地域興しの話です。是非ご一読を。

F君と久しぶりの遅いランチ。イオンの中にある中華料理屋さんの食べ放題です。デフレの影響か、950円です。中国語が飛び交ってます。時間が遅かったせいか入ったときお客さんは僕らだけで、なにやらちょっと心配になりました。前にイオンの中にあったやはり食べ放題の「太陽のごちそう」は暫く前になくなってしまったし、淘汰も進んでいます。「四川火鍋」さんには頑張って欲しいです。 

「アンジュール」のブログでヘルミーネ☆さんに勧められたスージー・ベッカーの「大事なことはみーんな猫に教わった」は平成3年に初版が出たときに買っていました。訳がなんと谷川俊太郎さん!今は文庫サイズで出ているようですが、当時はB5の変形かな?みんな手書きでした。ほんとにほっとする本です。写真は初版についていたバッジ。

・この2ヶ月、Android版のWakeup Tunesにかかりきりになっていました、今まで1300くらいのダウンロードがありました。今度は有料版にすべく、改良を重ねていました。いろんなコメントや意見をいただいて反映しています。大まかですが日本の方は一概に紳士ですね。悪いところを丁寧に指摘してくれる。一方で海外の方は、一言「動かん」とか「ここを直したら再インストールしてやる」とか「悪くはないが最高のアプリではない」とか最高のサービスを受けて当然だという上から目線の意見が多いです。その中でもとりわけ最後の「悪くはないが最高ではない」は大いに反省した忘れられないコメントです。最高だとは思っていませんでしたが、やるからには最高を目指さないといけないと再認識。スーパーコンピューターではないですが1番を目指さないと2番にもなれないということでしょう。
・事業仕分けがいろいろと話題になりましたが、仕分け人を批判するのは間違っている、悪いのは官僚、という意見に全く同感。絶対に必要なんだという哲学を持って、反論できなかった官僚に、失望というか、やっぱりなあという諦め。
・最近のお気に入りはベートーヴェン。カラヤンとベルリンフィルの60年代の録音がとても安価で手に入ることに感謝です。
・「ウェルかめ」いい感じです。びっくりしたときの「びくったあ」が新鮮。徳島弁でしょうか?登場人物もみんな魅力的。いい味出してます。編集長と副編の重サン特に好きです。

